会社の歩み
1870年~
1872年(明治5年)創業
本所在地:東京
商号:個人操業
初代川井伝平とガス灯
1871年(明治4年)南部藩士であった川井伝平 (1835~1908)は、廃藩置県に伴い岩手県から上京した。
同藩と縁のあった明治初期の実業家、高島嘉右衛門(1832~1914)の知遇を得て、氏の計画中であった横浜のガス会社設立にあたり、ガス灯のノルズ製作に参画した。
この事業はフランス人技術者・ブルグレンを中心とした外国技術の導入で進められた。伝平はその配下のドイツ人(氏名不詳)より手廻し旋盤操法の指導を受けた。
1872年(明治5年)9月ガス会社は操業を開始し、同時にガス灯も点火された。
当社がこの年1872年(明治5年)を創業の年とした所以である。
横浜郵便局開業之図(神奈川県立歴史博物館蔵)
三代広重画。明治8年刊。正面に花ガス灯が飾られている。
日本初のガス灯のレプリカ(横浜山下公園通り)
1902年(明治35年)
二代 川井千代吉 (1868~1951)
1935年(昭和5年)
商号:(株)川井鉄工所
三代(創立初代) 川井幸雄 (1894~1956)
川井鐵工所の設立
初代川井伝平は1908年(明治41年)に没し、二代千代吉が現、品川区大崎にて継承した。
三代幸雄は成人とともに独立し明電舎、アンリツ等の電機メーカーの傘下で順調な発展を遂げた。
1930年(昭和5年)、(株)川井鐵工所として法人設立をみた。(同年は当社にとって第二の創業といえる。)また、1935年(昭和10年)、工場を現、大田区大森に置いた。
1940年~
1943年(昭和18年)
本社所在地:岡山駅前
川井鐵工所の終焉
川井鐵工所は設立以後、順調な発展を続け、主要取引先を日本電気(株) (1943~45住友 通信工業に社名変更)とした。
日本電気(株)は、太平洋戦争の激化に伴い、増産の為、1943年(昭和18年)岡山製造所を 開業した。川井鐵工所はそれに同行し、生産の主力を岡山に移転した。ここでは主に航空無線機部品、レーダー部品製造を業務とし、日本電気(株)岡山工場最大の外注先であった。
1945年(昭和20年)3月10日東京大空襲、同年6月29日岡山空襲により、(株)川井鐵工所 は全工場を焼失した。戦後処理完了後、1946年(昭和21年)同社は解散した。
1945年(昭和20年) 創立
本社所在地:児島味野
商号:味野無線工業(株)
味野無線工業(株)<現(株)クレスコ>の発足
味野線工業(株)の誕生は悲劇で幕を開ける。同社は(株)川井鐵工所児島工場として操業開始し、1945年(昭和20年)6月3日味野無線工業(株)(代表取締役 川井 幸雄)として分社創立された。その26日後親会社である(株)川井鉄工所は空襲で全工場を焼失し、翌年解散している。発足時、社員数108人が翌年には6人と激減し、主要取引先であった日本電気(株)は、1946年10月岡山製造所を林原(株)に売却し、撤退した。
まさに焼跡に一人残された孤児であった。しかし、この工場を足掛かりに戦後が始まった。
(株)川井鐵工所 岡山工場跡
1946年4月、撮影(米国立公文書館所蔵)
旋盤だけが残されているのが痛ましい。
味野無線工業(株)児島工場(倉敷市児島に現存)
1950年~
1950年(昭和25年)
本社所在地:岡山上石井
インターナルズメーカーへの道
児島工場での経営継続は不可能と判断し、1950年(昭和25年)3月、本社を岡山市上石井286に移転した。
当時、生産が拡大していた農業用石油発動機部品をプレス化し、販路を拡大した。加えて、石油プラントインターナルズ用のキャップ製造に成功し、プラント業界進出の足掛かりを得た。
更に溶接技術を修得し、加工範囲を広げ、耕耘機部品、鉄道車両部品にも進出した。
1956年(昭和31年)12月10日、創立者川井幸雄社長の死去に伴い、大森晃が社長に就任した。
1956年(昭和31年)
1950年(昭和25年)3月に上石井工場に移転。
この年12月創立者川井幸雄没。
同年四代大森晃社長に就任
国産第1号の深絞りキャップ(トレー用)
1954年(昭和29年)三井造船(株)より受注し、
丸善石油(下津製油所)に納品。
1956(昭和31年)正月の記念撮影(上石井工場にて)
同所には1950年(昭和25年)3月に移転。
この年12月創立者川井幸雄没。同年四代大森晃社長に就任
1960年~
1960年(昭和35年)
本社所在地:岡山西古松
商号:岡山プレス工業(株)
石油プラント業界の黄金期
1960年(昭和35年)11月20 日、本社を岡山市西古松163 番地に移転、同日、社名を岡山プレス工業(株)に変更。プラント事業拡張のため、より広い工場への成長だった。
翌年から大型プレス機械も導入し、インターナルズ全製品の加工が可能となった。また、取引関係でも千代田化工建設(株)からのバルブトレイの受注を開始した。インターナルズメーカーとしての地位を確立した。
国内各地にコンビナートが建設され、加えて中近東、東南アジア等の海外物件と毎年工場を拡張する華やかな時代であった。
1960年(昭和35年)11月20日
落成パーティーで看板をかけ替える大森社長。
西古松工場全景1964年(昭和39年)撮影
1970年~
1970年(昭和45年)
本社所在地:岡山上道
オイルショックの洗礼と低迷期
1970年(昭和45年)1月 20日、本社を現在地岡山市上道北方165に移転。約8000坪の土地を取得し、将来の発展に備えた。
しかし、翌年からドルショック、オイルショック、イラン・イラク戦争と戦後日本の経済発展の根底を揺るがす事件が相次いだ。特に石油プラント業界はその直接的影響を受け、低迷と暗中模索の時代を迎える。
1980年~
多角化
1983年(昭和58年)低迷する状況を脱すべく中期戦略を作成、多角化を開始する。多角化が進んだ結果、従来の組織では機能しなくなり、1987年(昭和62年) 独立採算をベースにした事業部制に移行した。1988年(昭和63年)には住宅事業部を発足させた。また、同年より現在の社名である"クレスコ (増殖)”をコンセプトとして採用した。
OA・FA事業部の製品群(1984~)
1990年~
1990年(平成2年)
商号:株式会社 クレスコ
社名変更(C.I.)
1990年11月1日多角化による業容の変化と今後の発展を期して、C.I.を導入、社名を(株)クレスコと変更した。
1994年には D.S.(開発的営業の意)事業部 を発足させ板金加工用の機械CRESシリーズと輸入品販売の業務をスタートさせた。
1990年(平成2年)11月1日社名(株)クレスコに変更
C.I.を導入し11月9日新社名披露パーティーを催す
全社全景
コーポレートシンボルマークの遍歴
会社沿革
1872年 | 明治 5年 | 川井伝平(初代)東京品川に於いて鉄工業(ガス灯のノズル製作)を創業する |
1902年 | 明治35年 | 川井千代吉(二代)の経営となる |
1906年 | 明治39年 | 川井鉄工所として発足 |
1930年 | 昭和 5年 | 川井幸雄(三代)の経営となり、(株)川井鉄工所とする(東京都大田区新井宿) |
1943年 | 昭和18年 | 住友通信工業(株)<現NEC(株)>の岡山市疎開に伴い、 |
岡山市藤野町に岡山工場を開設 | ||
主に航空無線機部品レーダー部品製造を業務とした | ||
1945年 | 昭和20年 | 6月3日(株)川井鉄工所児島工場を分社し、児島市赤崎に味野無線工業(株)創立 |
6月29日 岡山空襲にて(株)川井鉄工所全焼 | ||
1946年 | 昭和21年 | (株)川井鉄工所を解散する |
1950年 | 昭和25年 | 岡山市上石井に味野無線工業(株)本社を移転し、金属プレス加工に転換する |
1954年 | 昭和29年 | 石油プラント事業に進出し、トレイ用キャップ国産第1号完成 |
さらに溶接技術を修得し、耕運機部品等にも進出した | ||
1956年 | 昭和31年 | 大森晃(四代)社長に就任 |
1959年 | 昭和34年 | プラント事業拡大により、岡山市西古松に大元工場を建設する |
1960年 | 昭和35年 | 11月20日 大元工場を本社とし、社名を岡山プレス工業(株)改称する |
大型機械も導入し、インターナルズ全製品の加工が可能となる | ||
千代田化工建設(株)からのバルブトレイの受注を開始し、 | ||
インターナルズメーカーとしての地位を確立した | ||
1970年 | 昭和45年 | 1月20日 本社工場を現在地東区上道北方165番地に移転する |
1971年 | 昭和46年 | 日本初のCNCプレス機(米ストリピット社製)導入 |
1985年 | 昭和60年 | 事業の多角化を開始する |
1987年 | 昭和62年 | 独立採算性をベースにした事業部制に移行 |
1988年 | 昭和63年 | 住宅事業部を発足 |
1989年 | 平成 1年 | 組織をマシナリー事業部、OAFA事業部、建築事業部、住宅事業部、 |
プラント事業部、総務部とする | ||
1990年 | 平成 2年 | 11月1日 社名を(株)クレスコと改称する |
C.I.を導入し、ロゴシンボルマークも改める | ||
「クレスコ」はラテン語の「増殖」を意味し、多角化推進により限りなく拡がる未来型企業の | ||
あり方を追求する経営理念に基づいた | ||
1991年 | 平成 3年 | 平成3年度全国安全週に於ける 労働大臣進歩賞受賞 |
1994年 | 平成 6年 | D.S.(開発的営業の意)事業部を発足させ、板金加工用CRESシリーズと |
輸入品販売業務をスタートさせる | ||
1997年 | 平成 9年 | 川井邦夫(五代)社長に就任 |
2000年 | 平成12年 | 介護機器製品のOEM生産開始 |
2002年 | 平成14年 | 事業部制を廃止 |
2004年 | 平成16年 | 半導体製造装置部品 製作開始 |
2005年 | 平成17年 | ISO9001取得 |
2005年 | 平成17年 | 大森晃 秋の叙勲にて旭日双光章を受章 |
2008年 | 平成20年 | 経済産業省中小企業経営革新計画の承認を得る |
2011年 | 平成23年 | JISQ9100取得 |
2013年 | 平成25年 | エクステリア事業(IOS)の販売権をナカシマプロペラ(株)より移譲 |
平成24年度 ものづくり中小企業小規模事業者試作開発等支援補助金 採択 | ||
2014年 | 平成26年 | 企業立地促進法に基づく事業高度化計画の承認を得る |
自社製品(IOS)エクステリア商品 TYPE-FAMGLIA販売開始 | ||
平成25年度 中小企業小規模事業者ものづくり商業サービス革新事業 採択 | ||
2015年 | 平成27年 | 自社製品(IOS)エクステリア商品 TYPE-SUS販売開始 |
2016年 | 平成28年 | 川井邦夫 代表取締役会長に就任 |
川井雄之介(六代) 代表取締役社長に就任 | ||
2017年 | 平成29年 | 鉄道関連部品 製作開始 |
自社製品(IOS)エクステリア商品 TYPE-NEO販売開始 | ||
「健活企業」を宣言し、積極的に従業員の心と体の健康づくりに取り組む活動を開始 | ||
2018年 | 平成30年 | 平成29年度 ものづくり商業サービス経営力向上支援補助金 採択 |
岡山市中小企業支援事業補助金 採択 | ||
IT導入補助金 採択 | ||
2019年 | 令和1年 | 資本金4,000万円に増資 |
男性社員2名 育児休業取得 | ||
2020年 | 令和2年 | 男性社員1名 育児休業取得 |
2021年 | 令和3年 | 令和元年度補正 ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金 採択 |
女性社員1名、男性社員1名 育児休業取得 | ||
2022年 | 令和4年 | 創業150周年を迎える |
令和2年度補正 中小企業蕩事業再構築促進事業 採択 | ||
経済産業省 健康優良法人2022(中小規模法人部門)に認定される | ||
2023年 | 令和5年 | 現在地に第4工場 竣工 |
経済産業省 健康優良法人2023(中小規模法人部門)に認定される |